攻めるものではなく「守る」のが日本刀

これまで、人間が生み出した造形の中でも「日本刀」には他に類を見ないくらい、見る人に感動を呼び起こし、神聖な心にさせるような品格の高さがあると言えるのではないでしょうか。日本には、刀が「日本刀」として完成されるよりもずっと昔から「刀剣」は存在し、日本創世神話にも登場すると言われています。たとえば「草薙の剣(天叢雲の剣)」は、スサノオノミコ卜が八岐大蛇を退治した時、その尾から出現し、後に天皇が皇位の託として即位の際に継承する「神器」のひとつとなったと伝えられているのは有名な神話ではないでしょうか。このように、古来から刀剣は神聖視され、天皇の側に置かれることになったのも、刀剣が「守り」の象徴であったからと言えるのではないでしょうか。

日本刀は、男が、女性や愛する家族、一族、さらには日本を「守る」という意識の元に手にして

いたものではないでしょうか。数多の危険があるからこそ、人も刀も磨かれ、そうして刀剣は神聖視され、保たれていったのではないでしょうか。

日本刀は「武器」ですが「武器」とは攻撃する道具という意味ではないということをご存知でしょうか。「武器」とは本来、戦わずして平和を守るもののことを指すと言います。「武」は「伐」を「止」めるという漢字で成り立っているでしょう。つまり、存在するだけで戦いや災いを鎮めるというのが「武器」の意味と言えるでしょう。そのため刀工たちは、文字通り、命をかけて刀を作ったと言います。敵を切り伏せる強い「武器」として、迫り来る脅威への抑止力として。もし日本刀が武器でなく美術や装飾品であったとしたら、これほど素晴らしいものにはならなかったのではないでしょうか。