江戸幕府の威信

世継ぎ誕生に刀を献上する風習は、鎌倉時代以降、武家社会の伝統となっていたと考えられるでしょう。しかしそれは、その以前から考えられてきた守り刀という役割だけではなくなってきているように感じられます。つまり、政権の権力を示すものとしての役割が付随されてきていたのではないでしょうか。「徳川実記」には「尾張大納言義直卿御所へ助真太刀 若君へ包平太刀 長光刀来国次脇差 紀伊大納言頼宣卿 御所へ国宗太刀」と記されており、面白いことに、三家とも刀は長光、脇指は来国次というように組合わせが同じという事がわかるでしょう。この大小の組合わせは「永く輝き、来るべき国を継ぐこと」という意味が込められているのだと考えられ流でしょう。家光に対し、最大限の慶事を表しているのでしょう。松平右京大夫頼重が若宮へ贈ったのは、延寿国時の刀だと伝えられています。こちらも慶事には喜ばれる名称だったのでしょう。加賀百万石の大大名、小松中納言利常卿は、江戸時代に最も高価な評価を受けていた名工の大小、正宗の刀に義弘の脇指です。この組合わせは前田家だけと言われており、その家格が伺えるでしょう。次に、譜代大名など外様の大大名四十五家が献じた大小を見ていきましょう。来国俊と来国光の大小は、松平忠昌・井伊直孝・小笠原忠政の大名です。来国俊・来国光・来国次が、大小のどちらかに組合わされている例は多く見られますが、中でも来国光がもっとも多く、十口を数えると言われています。例を挙げれば、伊達家は備前の真長と来国光の大小、鍋島家は来国光と備前兼光の大小、奥平家は備前則房に来国光の大小という具合でしょう。各大名は作品選びに腐心した様子が伺えると言えるでしょう。