魅了される曲線

日本刀の反りを見ていると、日本独特の文化である造形美を感じます。それは、どこか心地の良さを感じる緊張感があるからでしょう。美術館で初めて日本刀を鑑賞する人は、なんと綺麗な曲線と日本刀の反りに心が奪われるそうです。ではなぜ、日本刀の反りは人を魅了することができるのでしょうか。

名工について書かれた書物には、ある名工の日本刀は、焼き入れされているその日本刀はとても冷たい水のように澄みきっていて、その形状は茅という植物の葉っぱのように曲がっていると書かれています。つまり、その時代には反りがあったことがわかります。茅の葉っぱと言われると、日本の秋の風情を思い浮かべます。秋風になびく茅や葦、萩などは、とても自然で優しい曲線です。日本刀の反りという造形の元になったものとして、このような自然の造形があったのではないかと思います。そのため、美術館などで日本刀を初めて見た人たちは、多種多様な言葉で、その美しく優雅な曲線を表現するほど感動してしまうのだと思います。

ある世界的な石の彫刻家が日本刀の反りは、直線を作り出そうとして自然に生まれた曲線だと言っていました。また、反りを作り出そうとして生まれた曲線は面白くない、直線らしい直線を作り出そうとして生まれた曲線だからこそ緊張感があるとも言っていました。その彫刻家の言っていることは、日本刀の持つ反りとは幾何学的で人工物のような曲線ではなく、自然な葉っぱの曲がりや枝のたゆみ、長弓の張ったときのような曲線を意味しているのだと思います。そのたわみや張りを思わせる反りだからこそ、彫刻家の言ったように独特な緊張を持っているのだと思います。またその緊張感によって、初めて見る人を魅了しているのだと思います。

刀狩リ

日本刀といえば、刀狩りの歴史が多く語られるのではないでしょうか。刀狩りの元祖は、なんといっても武蔵坊弁慶だと言えるでしょう。弁慶は、紀伊の熊野の別当が二位大納言の姫君を強奪して生ませた子であり、母の胎内に18ヶ月居て、生まれた時に既に3

歳児ほどの大きさで、父親から「鬼神」と言われ殺されそうになったところ、母の哀願で助けられたと「義経記」に伝えられているのをご存知でしょう。6歳で癌癒を患い、比叡山西塔の桜本の憎正に預けられたものの、度々乱行を働き追放。その後、諸国修行に出ますが乱行は変わらず、京に出て千本の太刀を奪う悲願を立てます。そして悲願達成まであと一本というところで、義経に出会い、その後は有名な橋弁慶伝説へと繋がっていくでしょう。

時代は移り、豊臣秀吉は全国に刀狩りを発したのもご存知でしょう。それ以前に秀吉は関白となり、太政大臣に任じられ「豊臣」の姓を賜っているとされています。天下にその威を示すため、北野の大茶会を催し、その後京都東山に方広寺大仏殿を建立したとされています。そして歴史は、かの有名な万狩令を記しているでしょう。これは、より多くの人が読めるよう、分かりやすく書かれており、集めた刀などは、大仏殿の釘やかすがいに使うので、百姓の子子孫孫まで功徳をつみ助かると呼びかけていたと言います。これは、物凄い勢いで全国実施され、集められた太刀、刀類

は百万本を超えると言われています。

また、ポツダム宣言に「海外派遣軍の武器のみならず国内のあらゆる武器を一定の場所に集めていつでも連合国軍に引き渡しうるように処置せよ」とあり、この「武器」は、日本刀を意味しており、日本刀提出の指令の元に、隠し持っていた場合などは銃殺されたと伝えられています。